
「瑩(えい)」は玉の光や美石という意味があり「瑩心(えいしん)」で心を磨くという意味になります。
華道瑩心流のいけばなは、偽りのない自然の法則によって整うわざとらしくない「自然美の表現」を理想として、
植物は野にあるように扱うことを大切に指導しています。
植物に親しみ自然をよく観察して「いけばな」をいけることにより、大らかで豊かな心の美を育みゆとりのある
充実した生活を送ることを目標としています。
流派の歴史

1937年
瑩心流創流
1942年
東京女子学院中学・高等学校(現英明フロンティア中学校・高等学校)に於いて華道授業を開始。
1954年
東京都渋谷区恵比寿に本部を移転
1982年
財団法人日本いけばな芸術協会参与就任
社団法人華道瑩心会認可
1983年
蒲田女子高等学校(現羽田国際中学校・高等学校)に於いて華道授業を開始。
1992年
初代家元木下瀟雲が逝去し、同年11月に二代目家元「木下耕雲」が襲名。
2002年
二代目家元木下耕雲逝去
2003年
三代目家元「木下艸雲」が襲名し現在に至る。
歴代家元
ご挨拶

三代目家元 木下艸雲
華道瑩心流は、偽りのない自然の法則により整う、わざとらしくない自然美の表現を理念としています。植物を愛し、植物に親しみ「いけばな」をいけることを通して、自分の心を大自然の中に溶け込ませ、大らかで豊かな心の美を育み、ゆとりのある充実した生活を送ることを目標としております。また、生命ある植物を大切に扱い、一花一葉の息づかいを感じ取り、植物の心を知り、植物と自分の心を重ね合わせていけることが「いけばな」の極意であると指導しております。
華道であることを大切にしているが故に「こころの花 華道瑩心流」と謳い日々精進に励んでおります。
プロフィール
<経歴>
昭和40年 二代目家元木下耕雲の長男として生まれる
平成10年 華道瑩心流家元継嗣就任
平成13年 華道瑩心流副家元就任
平成15年 華道瑩心流家元襲名・社団法人華道瑩心会会長就任
現在 いけばな協会評議員・一般社団法人帝国華道院参与
財団法人日本いけばな芸術協会評議員・彫花の会主宰
渋谷区華道茶道連盟理事・いけばなネットワーク21会員
NPO法人いけはなWORKS会員
東京女子学院女子中学・高等学校(現英明フロンティア中学校・高等学校)で華道を教える。華道部では、「高校生花いけバトル」出場
<受賞歴・作品掲載>
・平成6年 :全日本いけばなコンクール入賞
・平成16年:静岡国際園芸博覧会コンテスト金賞受賞
・「ざ・いけばな 21世紀のアクティブたち」六耀社
・「フローリスト」2000年10月号 誠文堂新光社
・「産経新聞」2000年8月 産経新聞社
・「歴史研究」2003年9月号 歴研
・「花卉園芸新聞」2003年5月5日号 花卉園芸新聞社
・「中外日報」2003年8月28日号 中外日報社
・「フラワーショップ」2004年8月号・11月号 草土出版
・「りぷる」2004年11月号 自由民主党
・「読売新聞」2005年1月28日号 読売新聞社

二代目家元 木下耕雲
初代家元が逝去され、初代家元の姪であった木下耕雲が平成4年に二代目家元として就任しました。
初代家元のいけばなをまとめ、教本の刊行を行い、流派の原点である「心の花」を基に
流派の発展に尽くされましたが、平成14年に志半ばで逝去されました。

初代家元 木下瀟雲
幼少より野山を駆け回り、花に親しみ、長ずるに及んで池坊・古流・松風流等を学びました。詩人の仁賀保香城先生と中村不折画伯等に華風が認められ、仁賀保香城先生により「瑩心」の2文字を賜り、瑩心流を創流されました。華道の普及に積極的に尽力し、国際交流使節団参加や諸流団体の役員、各展覧会への出品など精力的に活動いたしました。
昭和57年に文部大臣より社団法人としての認可を受け、平成4年に大勢の門下生に見送られながら逝去されました。
